戦前の教育と戦後の教育
昭和20年(1945)8月15日に、太平洋戦争(第二次世界大戦)は、日本の負けで終わりました。日本は自ら反省し、国がその目指す目標を変え、軍事国家から平和国家に生まれ変わることにしました。
またそれに従って、学校も教育方針を変えることになりました。学校が変わったのは正式には、昭和22年4月の学制制度の改革からでした。そして、このときに実施された制度が、基本になって、現在まで続いているのです。
国の方針が、「富国強兵、忠君愛国」から、「主権在民、民主主義」と変わったので、学校の風景は一変しました。教える先生も戸惑ったことと思います。いままで教えてきたことの、なかには、今度は否定しなければ、ならないのも出て来ました。
国の新しい方針が盛り込まれた、教材が準備されないままで、終戦から半月たって、9月には新学期は始まりました。新しい教科書をこんな短時間で、編集し印刷して輸送することなど、不可能なことでした。それで、いままでの教科書を使わざるを得ませんでした。そこで考え出された方法は、いままでの教科書の中で、不都合なところは、破り捨てたり、墨を塗ったりして使いました。いわゆる「墨塗り教科書」です。
昭和22年(1947)に学制改革が実施されると、「中学校」が新設され, 義務教育期間は六年から、九年に延長されました。新しい制度で出来た中学校だったので、「新制中学校」といわれ、いいまでの「中学校」は「高等学校」と呼び名が変わりました。
教室内は、男女共学になり、男の子と女の子が、席を並べて勉強するようになりました。ニキビが出始めた男の子にとっては、はずかしいことでした。さらに、数年後、全国で同じ教科書を使っていた、国定(こくてい)教科書から、検定教科書に変わり、学校によって、使っている教科書が、異なることになりました。